[2月02日(土曜)] 名古屋市中川区・加賀藩ゆかりの地ツアー
東海北陸自動車道の全線開通をにらんで、北陸と愛知との観光交流を目指して前日は利家公ゆかりの名古屋市荒子地区への「加賀藩学講座」を企画し
今日はそれを受けて、利家公の古里から北陸をもっと良く知ろう、というツアーが訪れて参りました。
尾張町も、名前の由来から利家公と共にやって来た尾張商人の末裔の住む街としてツアーの目玉の一つになっており
バス一台に乗った皆さんをお迎えすることとなった訳です。
老舗交流館で歓迎のご挨拶をしながら、尾張町と名古屋の関係、そしてお殿様がどのようにして金沢城に入城されたかなどを話し、
金沢に根づいた商い文化のこころ粋、また金沢独特の風習などについての説明をさせてもらいました。
名古屋市中川区では金沢の文化をもっと良く知るために、広く普及している旗源平についても教えて欲しいということで
金沢市の方では、創作の森で作った旗源平を、まさに町民文化館の旗源平の前で贈呈するという粋なはからいの一場面もありました。
話だけをするよりも、実際に尾張町を代表とする金沢の商家の様子を知ってもらおうということで街中に出て
一見平家建てに見えながら実は二階建てで、さりげなくお殿様の行列を見下ろしていた構造とか
木の格子で作った「キムスコ」の目の荒さが、商家では中を見せるために巾が広いのにむ対して、茶屋街では狭くなっており、見えそうで見えないところに情緒を持たせていることととか
ウナギの寝床のように長い建物は、税金が間口割りだったので、前を狭くして奥行きを深くしたこと
またセド(中庭)には食べ物の木を植えることで、一朝事あるときにはお殿様と共にろう城する気概があったことなど.....話せば切りもなく続いてしまいました。
大手門はお殿様と徳川の使者と天皇家の使者しか使わず、後は黒門という通用門で賄っていたとか→→ために大手門は坂の勾配が強く、黒門は勾配が浅いとか等々〜
最後は金沢の風情が最も残る主計町(かずえまち)を案内し、地形的な成り立ちと、名前の由来などを話し、金沢の魅力を堪能してもらえたことと思います。
私たちも行きますが、どうか皆さんもこれから北陸の古都金沢へ機会あるごとに訪れて下さい。
尾張町の私たちは、いつでもお待ちしております。